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ドイツボードゲームとポリティクス


ドイツゲーム史の公開講座、動画公開の動画を見ての自分のまとめと漠然とした感想など。
動画自体は2時間半程度の結構長いもので、前半はあまり知らないタイトルばかりであったので時間がなければ最後の動画だけでもいいと思う。

動画は以下リンクの講師さんの”重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史”を基礎にしてまとめられたものが中心となっている。
part1
part2
part3
part4
part5
ゲームバランスなどについて

ドイツボードゲームというのは極端に運や実力が盤面に反映されないようにデザインされたアナログゲーム群であり、ポリティクスと呼ばれる盤面外でのやりとりをゲームに取り込むことを重視した設計がこれまでの趨勢であった。

ポリティクスとは例えばこれらの要素をさす。
”(引用)
・目立たないように潜伏
・他の人々同士を戦わせて仕上げのところだけかっさらう
・おだてたり泣き落としたりしてこっちを攻撃しないようにしてもらう
・ゲームの外のことを持ち出す「コーラ奢るから」「月のない夜は以下略」
・直前に攻撃してきた奴を攻撃する
・…と脅してこっちに攻撃がこないようにする
・相手も自分も共に沈むような行動を故意に取ることで「こいつの脅しは本物だ」と思わせる
・攻撃対象を順番に変えたりランダムに選ぶことでフェア感を演出
・攻撃対象に対して攻撃理由とこれが最適解であることを合理的に説明する
・相手がこっちを攻撃しようとしてきた時に、それが相手にとって最適解ではないことをプレゼンする
・自分以外の誰かが「お仕事」(首位のプレイヤーを止めるための自己犠牲的行動)をやるべきと主張
 (Fall on the Grenade。「俺が爆弾を抱いて死ぬ」みたいな?)
・首位を攻撃する機会を意図的にサボって、首位の直前のプレイヤーにお仕事を強制する



ポリティクスがあることで、運だけでなくプレイヤー達にゲームの支配権を渡しているように演出したり、露骨な経験者有利、事前研究有利という他者阻害的要素を薄めることができる。
ポリティクスによって、ドイツボードゲームは入りやすくすぐにその魅力に気がつくことができ、初心者を取り込みやすくしているように思える。

一方で、ポリティクスというものはいくらやりこんでも場の空気によって勝てない、というつまらなく感じる要因にもなりうるものであった。

ところが近年、ドミニオンというカードドラフト制のゲームが登場し、ドイツボードゲーム大賞を受賞しブームとなる。(自分の書いたブログリンク
ドミニオンはゲーム最初の条件こそみな同じだが、進めていく上で明らかにカードコンボや効果的な特殊能力の使用法など事前研究をしていたほうが勝つ可能性が高いゲームになっている。
さらに、直接プレイヤーが殴りあうような展開は従来のドイツボードゲームでも避けれれてきたが、代わりによく採用されていた間接的に効果を及ぼし合う(例えば相手が嫌がる位置に自分のコマを置いたり、カードを交渉によって交換したりなど)展開もドミニオンでは控えめであった。
プレイヤー達は各々が勝利に向けて邁進するのみで、そこにはみなで1人を邪魔したり、一位の足を引っ張ったりする光景、ポリティクスがほとんどなくなっている。

ドミニオン以降、ドイツボードゲーム界ではポリティクスの少ないゲームが”あり”だと判断され増えつつあるという。
そこが新しい流れとなり続いているものとなっているらしい。

だがここで、一つの自己矛盾が生じている。
マルチプレイが必要で、各種の処理を人が行う必要性があまりない。
つまりシングルプレイのTVゲームで十分ではないかという疑問が抱かれてしまうのであった。
実際に最近、iPhoneのアプリになるボードゲームも増え、ほぼドミニオンなどオンラインツールで遊ぶボードゲームも多い。
TVゲームは複雑な点数処理や効果の取り扱いに強いので、ルールが多く長時間になりがちなヘビーユーザー向けボードゲームも十分にTVゲーム向けになりうる。

この疑問に対してこれからドイツボードゲーム界はどういう解答を出していくのかが注目できる、としている。

他にもドイツボードゲームとしてのファミリーゲームに、過去からの積み重ね不足による閉塞感なども解決していくべき問題だろうとされていた。


ここからは感想になるが、ボードゲームの利点としては作り手視線ではアイデアやシステムの可視化商品化が容易であると思う。
実験的なものでTVゲームではペイできない販売数だとしてもボードゲームならば十分であることがありうる。

そのためボードゲームのTVゲームへの移行はあくまでも、大ヒットし実績のでた、TVゲームとしてやっていける確証の得られたものに限られるのではないかと思う。


ポリティクスの有無については、確かにゲーム中の話し合いという面でのポリティクスがなくなるのはゲーム性そのものが変化するということに間違いないだろう。
だが、ポリティクスのないゲームでも、熟練者が初心者にレクチャーしたり、ゲーム後に感想を言い合ったり戦術を評価したりといったどちらかと言えばシステマチックな会話は増えるのではないかと思う。
コミュニケーションというより論理トレーニングに近いものになってしまうが、マルチゲームというのは個人で強さを磨くよりも早くうまくなれると感じるし、ゲームをプレイする人をみなマニア寄りに移行させる働きになると思う。

もちろんそういう重いものを好まない人にとってポリティクスの減少はより取っつきにくさを増すものとなる。
そのような層にはバカゲーと言われるハチャメチャな展開を皆で楽しむ形のゲームや、協力して課題に立ち向かうタイプのゲーム、戦略よりも運やバランス、スピードを競う方向性のゲーム、造形やお絵かきなど行為そのものを楽しむタイプのゲームなどに親和性が高いと思われるので、そういった方向性のものが増えるのではないかと思う。

つまり、エキスパート向けとカジュアル向けに分かれていくのではないかなと思った。

これでひとつ気にかかるのは、完全にジャンルがわかれてしまうことで、エキスパートな方へ参入者が減り、ジャンル衰退に繋がってしまう可能性があるなということ。
それとも両者の橋渡し、中間ポジションとしてのポリティクスゲームは残るのかもしれない。


個人的には、多彩なものが入り交ざるジャンルとしてドイツボードゲームはあってほしいなと感じた。
by phys-can-tell | 2013-06-18 14:22 | ボードゲーム
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