遅ればせながら、火垂るの墓を見た。
何回目かになるが、神戸を舞台にした空襲関係の話は、地元出身としてのひいき目があるにしろ、少年Hや凧になったお母さん(火垂るの墓と同じ原作者)など、印象に残るものが多いと思う。
東京に来て思ったのは、人が多数入れ替わる東京では、あまり空襲や関東大震災の経験が語られる機会がない、ということである。特に、個人レベルでの語り継ぎはほとんどかんじられない。
神戸にいたころは、うっとうしいと思うくらい、地震、地震、戦争、地震等の話に触れることが多かった。
沖縄や広島に行った時もそうだったが、地方であるがこそ、そこに根をおろして生きていく人が伝えていくんだと思う。
そいう意味で、都市化、もっと言えばグローバル化によって、そういった体験談が人の移動の間に埋もれていってしまう可能性があり、歴史から学ぶということが困難になることが怖いと思った。